HSS型HSP・40代主婦が営業ノルマで心折れた日【公開処刑が人生を変えた】

ノルマ
やまだ

こんにちは!山田あやせです。

いきなりですが、誰しも「人生の転機」ってあると思うんです。

入学、卒業、就職、結婚、出産。また良いことばかりじゃなく誰かとの別れや、悲しい出来事がきっかけの方もいるかもしれません。

私も、これまで何度か人生の転機を経験しています。

私の中で大きな転機は今のところ3回。

子供たちが産まれた時離婚した時、そして自分の心がポッキリ折れたことをきっかけに働き方を大きく変えた時、この3回です。

やまだ

今回は3回目の転機、自分の心がポッキリ折れた時の話をさせてもらおうと思います。

私は、W在宅ワークという働き方に出会い、今まで味わったことがないストレスフリーな職場環境を手に入れました。

けれど、39歳までは、何の仕事をしても続かない社会不適合者だったんです。

人に自慢できるようなスキルも経験もない。ただ何事も全力で、真面目に取り組むだけが取り柄の人間です

当ブログ「自分にやさしく」は、HSS型HSPの私が過去の失敗から学んだことをベースに記事にしています。

今回の記事内容も、情けなくて、正直思い出したくない苦〜い記憶ですが「こんな人(私)でも働ける道があるんだ!」と、少しでも、誰かの小さな一歩に繋がってくれたら。と思い、執筆を決めました。

やまだ

ただ、「HSS型HSPの私の失敗談」を記事にしているので、私のせいでHSS型HSPさんの印象を悪くしてしまわないかな…と、不安にもなる。

記事公開時はいつも、悩みに悩んでから公開ボタンをエイッ!と押してます(今も公開ボタンを押せないまま、下書きに保存して世に出すことを躊躇っている記事が何個もある)。

この、心が折れた話も「私の場合はこうだった」というだけで、HSS型HSPさんは能力が低い人たちではありません。その点、誤解がないように、この先を読み進めていただけますと幸いです。

あと、「心が折れた」と書きましたが、今は毎日穏やかに過ごしています。

心と時間にゆとりを持って仕事に取り組めているし、プライベートも充実。けっしてお金持ちじゃないけれど、大きな悩みも今は特にありません。自信を持って40代の今が人生で一番幸せだと言えます。

14回も転職して、途中、心がポッキリ折れた私がどのような心の変化を経て今に至ったか、長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

もくじ

HSS型HSP主婦がビューティーアドバイザーになった経緯

30代も終わりに近づいた頃、13回目の転職先に選んだのがドラッグストアでした。

最初はレジ業務、陳列、品出しのような、一般的なドラッグストアの店員として入社。

そこから数ヶ月働いた時、店長に「化粧品担当やってみない?」と、声をかけられました。

化粧品担当者=ビューティーアドバイザー(BA)=美容部員

色々な呼び方がありますが、共通してメイク・スキンケアの知識を持ち、化粧品に関するさまざまな業務を担当します。

当時、私は扶養内パートとして働いていました。

化粧品担当者は社員じゃなくてもなれるけど、フルタイム勤務が必須条件。「仕事にも慣れたし、もう少し稼げたら嬉しいなぁ」と思っていたタイミングでのお話でした。年2回ボーナスが支給される点も魅力的だったし。

ただ、4ヶ月後に登録販売者試験の受験を決めたばかりだったため、化粧品担当者になるなら2つの勉強を並行することになる…。フルタイム勤務や家事の隙間時間を活用して資格勉強を進め、週末は子供の部活かクラブチームの練習、大会に同行する生活。私にできるかな?と、少し時間をもらって考えました。

でも、悩みに悩んだ末、最後は「何事も経験か!」と、化粧品担当者のお話を承諾しました。

HSS型HSP主婦が直面した営業職とノルマの過酷さ

同店舗の先輩BAさんは穏やかな方で、業務連絡もこまめに共有してくださり、一緒に仕事をしてつらいことはありませんでした。店舗のスタッフたちも良い人ばかりで、職場環境には恵まれていました。

私が入社したドラッグストアでは、ビューティーアドバイザーになると新人研修会といって、最初の1年間、同期BAが集まり研修会が行われます。もちろん業務で、強制参加です。

年齢はまちまち、勤務先店舗もバラバラな同期BAとの近況報告もかねた会で、私も毎月1回、新人研修会に参加していました。

研修会では月の個人目標を発表し、次の会で達成できたかを確認します。

最初は、みんな目標は低め。けれど、2回目以降から急に「ハードルが高いな…」と、感じるようになりました。

  • 1日最低1人は会員獲得
  • 1日20人お客様へお声がけ
  • 1日10人タッチアップ(お客様の肌にスキンケアやメイクを施すこと)

また、最初の1、2ヶ月は店舗での業務が主だったのが、だんだんと各メーカーの研修会、化粧品担当者会議など、店舗以外での仕事も増えていきました。

実際、最後の出勤月は、22日の出勤日に対して店舗稼働日が5日しかない状態。

そういうイレギュラーな月でも、ビューティーアドバイザーのノルマは変わりません。店舗のお客様の新規orリピート率、各店の客数、BAの勤務時間帯など、諸々の条件は一切加味されず「ノルマ達成!」という風潮です。

「お客様に商品の良さを紹介するのが私たちの仕事であって、購入を決めるのはお客様自身」そう当時の化粧品担当の上司は言っていました。けれど「言っていることと求められることの差がありすぎない?」と、徐々に不条理さを感じるように。

ビューティーアドバイザーはバリバリの営業職、その辺は先輩BAさんの話を聞いて承知の上。のはずでした。

けれど、現実は、私の想像よりはるかに厳しく、日に日にしんどさが増していきました。

そもそも、私は、自分が本当に良いと思える商品以外を勧めることが苦手だと、ビューティーアドバイザーとして勤務しだして早い段階で気づきました。自分の服やコスメを選ぶ際も、納得するまで調べ「これ!」と思えたものを購入したいんです。そのため、買い物中、店員さんに話しかけられてガンガンおすすめされるのが苦手です…。

特定の商品しかおすすめできないんじゃ営業職は務まらないと、頭では理解しています。

しかし、だんだんと、自分の売上のために商品を勧めているような罪悪感を感じるようになっていきました。HSPの共感力の高さが、相手の立場に立って考えすぎてしまったんでしょう。

私はドラッグストアに勤務する以前に、バッグや財布などの小物を取り扱うショップ店員として働いた経験があります。そのショップでは、売上目標はあるけどノルマはなし。店長さんも、お店の方針的にも「売れ売れ!」という感じは一切なかった。けれど、私は、入社当初からベテランスタッフと肩を並べて売上をあげていました。

じゃあ、なんでドラッグストアでは苦戦したのか。

私の中で「ノルマ」という、義務感が重くのしかかっていたからです。

勤務先のドラッグストアでは、会員獲得ノルマ、各ブランドごとの売上ノルマの他にも、月ごとに強化ブランドが設定されます。それら全てのノルマを達成しないと「なんで達成できなかったの?理由は?」と、エリア長に質問攻めにされます。

「数字を追い続けて結果を出さなければならない」

「でも、自分の売上のために勧めているような気になってしまう…」

そういった葛藤から、ドラッグストアでは成績を伸ばせず。ノルマを重圧に感じて身動きがとれなくなった私は営業職に不向きだと、今は冷静に考えられます。

HSS型HSPの私の心がポッキリ折れた「公開処刑」

化粧品の営業ノルマがつらい…と日々思いながらも、仕事に対しては真面目に取り組んでいたつもりです。

新しい分野を学ぶことは好きです。知識が増えることや対応力がついていく実感を感じられる瞬間は素直に嬉しかったし、その結果、お客様が喜んでくださる顔を見ると「ビューティーアドバイザーになってよかったな」と、思える日もありました。

でも、相変わらず数字は付いてきませんでした。

ノルマを考えると顔が引きつる。でも、そんな顔はお客様の前でできないと、いつもの笑顔を作っていました。


そして4回目の新人研修会。

前月、私が獲得できた会員数はゼロ、でした。

当初から会員勧誘への苦手意識も拭えませんでした。獲得数ゼロの月はその月が初めてだったけど、それ以外の月も正直かなり苦戦していました。

この点も、自分自身が「ポイントカード作りませんか〜?」のような勧誘がすごく苦手だからです。自分がされて、気が良くないことは人に勧めることができない。人によって受け取り方が違うのは分かっているけれど、気持ちをうまく切り替えられませんでした。

そんな中、迎えた新人研修会。 実はその数日前、ようやく「この言い回しなら、私らしくおすすめできるかも!」という光が見えはじめていたんです。実際にお客様3名が会員になってくださり、手応えを感じていた矢先の出来事でした。

全国の拠点がオンラインで繋がり、会が始まると、獲得会員数上位のBAたちがインタビュー動画で成功体験を語ります。 その高揚感が冷めやらぬまま、進行役のBAが無慈悲に告げました。

「次は、前月、会員獲得数ゼロだったBAの名前を挙げます」

スクリーンに、獲得会員数ゼロだったBAの名前が映し出されました。

「あ、私の名前も載る…」と、進行役のBAの声を聞いた瞬間に覚悟を決めたつもり、でした。

しかし、自分の名前をスクリーンの中に見つけた時、頭の中は真っ白な光で塗りつぶされました。全身の血が足元から引いていくのに、顔だけは焼けるように熱く感じる。今思い返しても、心臓をグッと鷲掴みされるような、みぞおちの辺りに重い石でも放り込まれたような、いたたまれない感情に支配されます。

スクリーンの光が凶器のように眩しく目を刺し、それ以外の景色は白く霞んでいました。BAの進行の声もどこか遠いところから響いているような、ぼんやりとしたBGMに変わっていきました。

「人前で、できない自分を晒されるの、つらいな…」

「他の会員獲得数ゼロだったBAは、このやり方で次は頑張ろう!と思えるのかな」

「恥をかきたくなければ数字を出せ、ってことなんだろう」

「恥ずかしい」という感情を通り越し、ただただ「この瞬間、この場から消えて居なくなれたらいいのに」。 そう思いました。けれど、そんな心とは裏腹に、私の顔にはいつの間にか【いつもの笑顔】が張り付いていました。

「今月は頑張ります!」

上司に向かって放ったその言葉は、自分でも驚くほど明るく響いていました。

その後、研修会は滞りなく進みました。

けれど、私の心はスクリーンの光を浴びた状態のままストップし、頭もぼんやりとしたまま、研修内容は耳から入って頭の中を素通りしていきます。

いつもは「新しい知識を身につけて早くスキルアップしたい」と、前のめり気味で研修会に挑んでいたのに、その日は頑張りたい気持ちは全く起きず。なんとか1日をやり過ごすので精一杯でした。


「会員を獲得できない私は価値がないんだな」

帰り道、車を運転中にポロッと口からこぼれた一言をきっかけに、堪えていた涙が止まらなくなりました。

研修中「大人だから泣けない」と、いつもの笑顔で自分を武装したのに。「ノルマ」や「勧誘」の積み重ねで日々疲弊し、既にヒビが入っていた笑顔の鎧は脆く、スクリーンの光によってガラガラと砕け落ちるのを感じました。

その日を境に、出社する足取りはさらに重くなり、以前に増してノルマが苦痛に感じるように。登録販売者試験には4ヶ月の勉強の末、無事合格したものの、気持ちは重いままでした。

それより、会員を獲得しなければ。ノルマを達成しなければ

頭の中は、追いたくもない数字でいっぱいでした。

「もう、全身の血がサーっと引いて、頭が真っ白になるあの感覚、そしてあんな惨めな思いは二度としたくない」

そう思えば思うほど、お客様に声をかけることが怖く感じる。

失敗することが怖くなる。

「同期はみんな優秀で、こんなに出来が悪いのは私だけじゃない?」

「今日は先輩BAさんが会議出席で店舗にいないから、絶対に休めないや」

「しんどいけど、ビューティーアドバイザーを引き受けた責任は果たさなきゃ」

そんな仕事へのストレスと「やらなきゃいけない」という義務感の狭間で葛藤していたある日。出勤途中に過呼吸を起こし、救急車で運ばれ、その日以降職場に行けなくなりました。


13回目の転職先でもダメだった。

39歳にもなって、何やってるんだろう。

同世代の人たちは仕事に家事に、人によっては育児も、1人で何役もこなしている。バリバリ仕事を頑張っている方も沢山いるのに。

私はいい歳の大人になっても何でこんな感じなんだろう。仕事もできないし、続かない。

13回転職した先でもメンタルダウンし、結局そのまま体調をも壊して退職。

その後2ヶ月ほど、自宅にこもり、息をしているだけ、なんとか生きてるだけの期間を過ごしました。今思い出そうとしても、2ヶ月間の記憶は断片的にしか思い出せません。

感情の波が止まった心を回復させたのは「家族の存在」と「仕事への執着」

心臓は動いているけれど、感情の波は止まったまま、 抜け殻状態だった私を救ってくれたのは、家族との「変わらぬ日常」でした。

娘、息子、そして夫。 3人のすごいところは、私がメンタルダウンして鬱状態になっても、接し方がいつもとほぼ変わらないことです。 もちろん、家族なりに気を遣ってくれていたと思います。でも、腫れ物に触るような扱いはせず、いつも通りでいてくれました。

誰かに過剰に気を遣わせてしまうことに罪悪感を感じる私にとって、その「いつも通り」が、どれほど救いになったか分かりません。

中高生の子供たちは、帰宅すると相変わらず今日あった出来事を話してくれました。 夫は仕事で疲れているだろうに、家事ができない私に文句ひとつ言わず、家のことを回してくれました。

そんな家族の温かさに包まれ、少しずつ心が息を吹き返してきた頃。 ようやく「これからどうしようか…」と、近い未来について考えられるようになりました。

今の私には、支えてくれる夫がいます。 シングルマザー時代のように、必死に1人で生計を立てる必要はありません。無理をしてまで働かなくても、生活はできる。

けれど、13回も転職を繰り返し、そのたびに挫折してきた仕事という存在は、いつの間にか私の中で執着に変わっていました。

「こんな私が働ける場所なんて、どこにもない…」

そう絶望しながらも、心の片隅では小さな火がくすぶっていました。

「このまま、家にこもって人生を終わりにしたくない。私らしく、無理なく働ける環境がきっとどこかにあるはず」

そして、1つの答えにたどり着きます。

「13回やってダメだったんだから、もう出社での働き方は無理そうだな。その代わり、自宅でできる仕事を本気で探してみよう」

仕事が続かないHSS型HSP・40代主婦が在宅ワークへ挑戦したきっかけと経緯

出社という働き方に限界を感じた、39歳の冬。

「出社が無理なら自宅で働く道を探そう」と決めたものの、当時の私には、自宅で稼げるスキルなんてありませんでした。

そんな中、「主婦 副業」「主婦 在宅ワーク」など、ネット検索して見つけたのがWebライターという仕事。そして、初心者でも仕事が探せるクラウドソーシングサイトの存在でした。

「でも、未経験の私がいきなり案件応募なんてできる…?」

そんな右も左も分からない状態で、最初の一歩を踏みきれずにいた私の背中を、1本のYouTube動画がガツッと押してくれたんです。

Webライターとして、そして現在はAIの分野でもご活躍されている佐藤誠一さんの、この動画です。

自宅でお蕎麦をすすりながら、ぼんやりこの動画を眺めていた時のこと。開始38分あたりで佐藤さんが言い放った言葉に、食べていたお蕎麦を吹きそうになりました。

「Webライターが扱うのは日本語です。あなたの日本語歴は何年ですか?もう十分プロじゃないですかね?」

目から鱗。って、こういう時に使う言葉なんだな……と、思いました。笑

「そっか、私の日本語歴は39年。私も日本語はプロじゃん!」、Webライターに興味を持ったはいいけど、はじめの一歩をどう踏み出したらいいか分からないでいた私に、魔法のようにパンッ!と、スイッチが入った瞬間でした。

佐藤さんはもっと高度な解説をされているのですが、人間、どこで勇気をもらうか分からないものです。

私は、もともと単純な性格です。さらに、昔から好奇心も旺盛。

「つべこべ言わずに、まずやってみるか!」。これから自分が向かう方向性が定まると、目の前がふわっと明るくなるのを感じました。

今でもライターの仕事で落ち込むことがあると、この動画を見返しています。


こうして、ライターとしての第一歩を踏み出した私ですが、最初は当然、収入も微々たるものでした。

「ライターの仕事ははじめたばかり。ライターとしてスキルを積む間も収入がほしいな」

そんな風に模索していたある日、運命の出会いがありました。ライティングの仕事で検索していた時に、たまたま目に入った「HSS型HSP」という文字。HSS型HSPについて書かれたブログ記事を読み進めるうちに、全身に電流が走りました。

「この記事の内容、そのまんま私のことだ……」

39年間の人生で、指折り10本に入るレベルの衝撃でした。

今まで「自分はダメな人間だから」と責め続けてきた14回の転職も、人間関係の悩みも、もしかしてこの気質が関係あるのかもしれない。ブログ記事には「HSS型HSPは病気ではなく才能豊かな気質」と書かれてる。

そこから、取り憑かれたようにHSS型HSPについて調べ、人生の棚卸しをはじめました。

自分を知り、今までのような「がむしゃらな努力」ではなく、私に合った環境を本気で選ぶために。

その結果、巡り合えたのが今の職場です。

私がどん底からどうやって今の仕事を見つけたのか、具体的な方法はこちらの記事にまとめています。

コールセンターは、出社での研修期間を経て在宅勤務に移行しました。

「出社が限界だと言っていたのに、また出社の仕事を選んだの?」そう思われるかもしれません。

でも、当時の私にとって、この方法は近い将来、在宅で仕事をするために必要なステップでした。

未経験からいきなり完全在宅を目指すのはハードルが高いけれど、研修期間は出社で手厚く指導を受けられて、独り立ちしたら在宅へ移行できる。「在宅ワークのいろは」を知らなかった私には、好条件に思えたんです。

ただ、もちろん不安もありました。

過去の経験から、私が出社に耐えられるのは、おそらく半年から長くても1年ほど。それを過ぎると、決まって体調やメンタルを崩してしまいます。

だからこそ、コールセンターの面接の場で「半年から1年くらいかけて在宅勤務へ移行したいです」と、最初から在宅勤務の意思も、期間もはっきり伝えました。

自分の限界を知っているからこそ、あらかじめ期限を決めて計画的に準備を進められた。

そうして、約7ヶ月半の研修期間を経て、無事に在宅勤務へ移行することができました。

その間、並行してWebライターとしての経験も小さく積み重ねていきました。素敵なクライアントさんとの出会いもあり、少しずつスキルアップの実感を得られるように。

こうして現在、私はコールセンターとWebライター、2つの仕事を自宅で完結させています。


自宅で仕事ができるようになって驚いたのは、出社時に感じていたストレスが嘘みたいに激減したことです。

気になっていた他人の視線はもうありません。

休憩室で聞こえてくる、誰かの陰口を聞くこともなくなりました。

コールセンターの業務中の相談は内線1本で済みますし、ライターの仕事は基本テキストでのやり取りです。静かな自宅の隅っこで、「在宅移行おめでとう記念」と称して買ったスタバのタンブラーをお供に、今は自分のペースで仕事に向き合っています。

タンブラー

今のW在宅ワークに移行しての感想や、私が在宅ワークに感じるメリットなどは、こちらの記事で紹介しています↓

自宅の部屋の隅っこが「今までで一番居心地が良い最高の職場」に

こうして私は、「HSPには不向き」と言われる傾向があるコールセンターで、在宅勤務という形を選び、安定して働いています。ほぼ同時期に始めたWebライターの仕事も少しずつ軌道に乗り、今は収入の柱が2本になりました。

特別なスキルがあったわけでもなく、出社で働くことすら困難だった私でも、在宅というフィールドなら自分を活かせることが分かったんです。

13回も転職を繰り返し、散々「何もできない自分」を責めてきました。けれど、今の働き方にたどり着いてようやく気づいたんです。

私の努力が足りなかったわけじゃないのかもな。「戦う場所」と「頑張る方向性」を間違えていたんだ、と。

今、私は部屋の隅っこでカタカタとキーボードを打って仕事をしています。

ビューティーアドバイザー時代のような華やかな世界ではありません。けれど、この静かな部屋の隅っこが、今まで出会った中で一番居心地が良い「私の最高の職場」です。

自分に合った働き方にシフトするだけで、世界はこんなにも明るく見える。 外部の刺激に心を乱されることなく、こんなにも安定して仕事に集中できる。全方向にがむしゃらに頑張るのではなく、苦手なことは潔く避け、自分に合った環境を探す。

こんな働き方、生き方があってもいいよね?と、今は思えます。


40代にして、私はやっと、本当の意味での働くスタート地点に立てました。

HSS型HSPという気質を知らずに、がむしゃらに、泥臭く、もがき続けた19年間。つらかった経験も多くありますが、そのすべてが、今の私に「得意と苦手」を教えてくれました。

在宅ワーカーとしての歩みはまだ始まったばかりです。けれど、これからは自分のやりたいことに、もっと軽やかに挑戦していけそうな気がしています。

もし、この記事を読んでいるあなたが、過去の私と同じような悩みを抱えているとしたら。どうか自分の可能性を自分自身で潰さないでください

あなたが安心して、あなたらしく働ける場所はきっとあります。自分のこととなると視野を広げられない時もあるかもしれません(私もそうです)。でも、ほんの少しの気づきや好奇心を大切に、一歩だけ前に進んでみていただけたらと思います。

その小さな一歩の先に、あなたにとっての「新しい光」が見えることを心から願っています。

やまだ

長くなりましたが最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

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もくじ